都内で働く30代の試行錯誤

田舎での生活に憧れています。 息子(0歳)がいます。

ちきりんさんの『自分のアタマで考えよう』を読みました

『自分のアタマで考えよう』という本を読みました。目が覚めたようなスッキリ感(と少しの緊張感)があります。

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ダラダラとネットニュースを見たりInstagramやXを見たりして時間が潰えていくことに危機意識はあり、本を読んでも新聞を読んでもなんだか情報が頭を素通りしていく感覚があり、「昔はもっと何でも自分の意見や立場をしっかり持っていたような気がするのだけど・・」などと回顧する日々。

 

家のリフォームのために『徹底的に考えてリノベをしたら、みんなに伝えたくなった50のこと』という本を読み、著者がリフォーム業者をどこにするか決める段で「著作『自分のアタマで考えよう』でも書いていますが、意思決定には判断基準と情報が必要です。」みたいなこと(曖昧ですみません)が書かれていました。

タイトルが危機感に刺さり、またこの本における著者の考え方がおもしろかったこともあり、「わたしも自分のアタマで考えたい!!」と興奮し、読むに至りました。

育休残り半分弱というタイミングで出会えてよかったな~と思っています。

 

内容

・人が考えたことを情報として取り入れるのではなく、自分で考えることが大切

・自分で考えるための具体的な技法いろいろ

が書かれています。

 

「グラフの選び方で、こんなに情報の見え方が変わるんだ・・!」というようなグラフ化の手法、何かを検討するときに第一にやるべきことは判断基準の明確化である、考え漏れを出さないための分解図の活用‥など、実用的な手法が11項目書かれています。

 

そして、背中を押してくれたのは「さいごに」の章です。

どの分野でも同じですが、自分の頭で考えれば考えるほど稚拙になり、間違いも多くなります。偉大な先人や専門家の智恵に素直に耳を傾け、知識としてそれらを学んだ方が「わざわざ自分の頭で考える」より圧倒的に効率がよいでしょう。 

働きはじめたあと、現実の社会には、誰かがあらかじめ用意してくれた解法が存 在しない課題がたくさんあると気がつきました。(中略)
「解法を知ろう、解法を勉強しよう、解法を覚えよう」としていると、「解法を考える力」が まったく身につかないことにも気がつきました。

まさに・・・!自分が考えたことの拙さ・思慮不足感と直面するのが嫌だし、「手っ取り早く正しい情報を知りたい!」と思ってしまっていたのです。

しかし一方で、情報を知識として蓄えただけで、自分は空っぽになり続けてもいたのです。

 

(自分の読書録には引用だらけの要約を残していますが、ブログで本の重要な内容を詳細に紹介するのは、ファスト映画みたいで良くないと思っています。誰かが以下の感想を読んで、「わたしも読んでみたい」と思ってくれたらとても嬉しい)

 

感想・心境の変化

「とにかく、インプットを絞って アウトプットの時間を増やそう!!!!」と思いました。

これまで、たとえば「芸能人が精神的不調によって休養」のようなニュースを見て「労災おりるのかな、グループ脱退になった場合っていつまで補償されるんだろう」など思うと、反射的にスマホですぐに「芸能人 体調不良 労災」と調べてました。

でも、自分で仮説を立ててみようとすると、「そもそも労災って、誰がどう拠出したお金が原資だっけ?」「芸能人って労使関係のある社員?個人事業主?」「芸能人に限らず鬱病で退社する人もいるよな、彼らはどうなっている?全員にずっと支払っていたらもっと大きな社会問題になっているはず。退職まで?あるいは期限を設けて救済しているのか?」などその問題の基礎情報が気になってくる。

問いを洗い出して「もし、これがこうだったら労災としておりない可能性が高いな」という判断基準を作ったうえで基礎情報を調べ、その情報と判断基準を元に自分なりの結論を出す。それから、答え合わせ的な検索(「芸能人 体調不良 労災」)を行うようにしようと思いました。

似たようなケース「テレビ局社員としてのアナウンサーが精神的に病んだ場合」についても、「労災」「芸能人の労使関係」などベースの知識があるから、理論的に考える(推測する)ことができるようになる。

題材がネットニュースであれ何であれ、とにかく流し読みのインプットもどきの時間を減らして、自分なりに考えたこと=アウトプットを増やそう、訓練的にやっていこうと思いました。

 

「学生の頃~社会人初期は、もっと自分の軸や意志を持っていた気が・・」と懐かしがることについて

冒頭にも少し書きましたが、ここ数年の自分は思うことがあっても「どっちもいいよね」「バランスが大事だよね~」など当たり障りのないことばかり言って、「色んな考え方・指向の人もいるし、この友達もそうかもしれないし・・」と飲み込むことが増え、我ながらおもしろくない人間になったな!と残念に思っていた。

 

こういう記事も読んで、「ほんとうにそう・・・言い切る人は強い・・・言い切れない自分は・・・(もやもや・うじうじ)」ともよく思っていた。

blog.tinect.jp

 

でも、ちきりんさんが本の中で「両面を考える」重要性を書いていて、

脊髄反射で「こっちが良い!」「そんなのありえない!やめろ!」と言っていた過去より進歩しているのかもしれないと初めてポジティブに思えました。

世の中で社会問題化していることでも、当事者になるまで 事の重大さに気付かなくって、年齢を重ねるにつれて自分や身近な人がいろいろと(性的暴行・夫婦別姓のメリット・仕事のしんどさ・妊娠中の地獄・介護 etc)経験し、その結果「昔の自分をぶん殴ってやりたい」と思うこともありました。

「自分の考えは絶対ではない」という当たり前のことを実感して、何かを思っても「正しくないかも、思慮しきれていないかも」「発信したら後で後悔するかも」と思って(でも深く丁寧に考えるのは大変で)思考停止につながっていたのかもしれません。

これまでの無知故の絶対的自信は、正しくない危険なものなので手放せてよかった。

でも、やっぱり「言い切る」「自分の立場を示せる」ことは人生において必要だと思います。近年の優柔不断は、進歩の過程だったと思って、さらに一歩進めて、自分なりに考えたうえで意見や立場を発していきたいと前向きに思っています。

 

そもそも考えないで済むようにしていたかも?

前述の話ともつながるのですが、マンガアプリ、ネットニュース、YouTube、X、Instagramなど、「何かしら新しい情報を見ていたい」という欲求は「何かを見ていれば考えなくて済む」というのが根底にあるかもしれないと思いました。(どんどん視覚的に派手に、一方でインスタントで細切れになっていくコンテンツ群、華氏451度の世界・・)

ブログを書くこともそうだけど、考える・突き詰める・立場を明確にするというのは、楽しくて達成感がある反面、やはり面倒で不安で大変でもある。でも、そうじゃないと長いものに巻かれたり、易きに流されていく一方なので、考えることを諦めないようにしたい。

 

雑談が下手な理由はインプット不足ではないかも

人と話していてその場でうまく反応ができず、後から「ああいえばよかった・こう言えばよかった」と思うことが多いのは、持っている情報(インプット)の量が原因だと思っていました。 

ラジオ番組を聞くようになって、うっすら色々知っている(今年は阪神オリックスが優勝争いして阪神が勝ったとか、ゴルフは場所によっては2万未満で回れるんだとか)と、話を振りやすいし、話を聞いていても基礎情報を知っている分楽しく聞けるので、守備範囲を広げるのも大事だなと感じます。

一方で一つの話題で盛り上がるためには、自分の考えを持っているか否か(語れることがあるか、語れる状態に整理されているか)が大事だと思い直しました。

(社会問題とか政治的な話はもちろん、趣味でもなぜ好きか、どういうところが好きか、このコンサートのこの曲は、この子の覚悟を感じて熱かったとか、そういうところまで話せて共感したときが一番楽しい。)

 

まとめ

育休も残り5か月(保育園に入れると信じてる)。

これまでは、育児(産後ぼろぼろの母がよわよわ新生児を生かし続ける)・マンション購入・保育園の調査&希望順位決めなど、必要に迫られて調べて考えて決めてきましたが、残りの5か月は「緊急ではないけれど重要なこと」について、積極的にじっくり考えていきたいです。

 

わたしは頭の中で考えるということが苦手で(脳の作業台=ワーキングメモリが狭く、超ちょっとの情報保持で堂々巡りが始まる、しかも記憶力もない)考えを進めるためには書き出す必要があります(仕事でも私生活でもメモとペンが常に机に出てる)。

なので、子が起きている時間に「考える」という作業をするのは難しいので、「子が寝ている時間はアウトプットの時間にする」「そのために、子が起きている時間に、子を見ながらできる作業系のタスクをどんどんこなす」ということを意識して過ごしています。

もちろん、子が甘えん坊モードや不機嫌なとき・自分が息子猫可愛がりモードに入ってるとき・外出が多い日・来客のある日など、ほとんどの日において子が起きてる時間に「作業系タスク」は終わりません。

今までは子が寝てる時間にスマホで暇つぶし的なことをしていた中、このブログは子の昼寝中の時間に書いたので、小さな一歩に思います。